陸前高田 3月
陸前高田市の叔父夫婦の無事がわかってから
連絡手段が、ずっとありませんでした
すぐに現地へ行こうにもガソリンがなく
郵便配達が出来るようになって
急いで手紙を出しました
「お二人を我が家へお迎えする準備が出来ています」と
夫とY-sukeが二人を迎えに陸前高田へ行き
私は、温かい食事を用意して戻ってくるのを待ってました
Y-suke撮影
なんにもないです
遠くに見えるのは野球場
叔父の守ってきた実家は、その近くにありました
叔父夫婦は、地震が来て
すぐに避難したそうです
ここまでくれば…と振り返ると
高田松原の松の木よりも波は高く迫り
さらに高い所へと逃げたそうです
市内はあっというまに津波に飲まれ
すべてなくなった
避難所として指定された体育館や建物は
波が飲み込み
さらに高い所へに逃げた人だけが助かったそうです
これからの生活
どう支えていけばいいのか
全く見えません
同じ所に家を建てるのは無理
ひとり息子は数年前に病気で亡くなり
子供がいない叔父夫婦
叔母方の親戚はみな亡くなってしまい
支えていくのは私達だけになりました
迎えに行ったのとすれ違いで
叔父からハガキが届きました
(送った手紙にハガキを同封してました)
電話も通じないので、こうして連絡をするしかないのです
夫とY-sukeが戻ってきて
叔父たちは、陸前高田に残りました
70代半ばの叔父夫婦です
親戚、友人、知り合いがたくさんいる住み慣れた土地から
離すのも心苦しいです
でも
体が心配
いつでも迎え入れる準備だけはしておこうと思ってます
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